ナイチンゲールの偉業とは

19世紀のイギリスにおいて、裕福な家庭に生まれたナイチンゲールは当時の女性にしては珍しく幼少期から非常に高い水準の教育を受けてきました。語学、数学、天文学、歴史、美術、音楽などあらゆる分野の教育が施され、様々な教養を身につける中で看護や衛生といった社会問題に興味を持ち、いずれは人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになります。24歳のときに病院で看護師として働き始めますが、家族の反対を押し切ってのことでした。当時は看護師は病院での単なる召使と考えられ、専門知識の必要の無い身分の低い下女たちのするような仕事だったからです。ドイツ、そしてロンドンの病院で専門知識を学んだナイチンゲールは専門家としての看護師の必要性を痛感しそのことを訴え始めます。そして自らの意思でクリミア戦争に従軍し献身的な看護を行う中で野戦病院の惨状を目の当たりにし、戦争終了後には病院改革のために動き始めます。昔培った教養を活かしクリミア戦争における兵士たちの死亡原因を統計学的に解明し、清潔な環境であれば死亡率が低下することを証明し衛生状態の改善を訴えたのです。数字を武器に軍司令部の無能さや非情さ、政府や軍当局を厳しく批判したこと彼女は、自然現象だけでなく社会現象も数字によって解析できるということを示し、イギリスにおける近代統計学の礎を築いたと言われています。またもちろん、聖トーマス病院内に彼女の名を冠した看護学校を設立、看護教育を体系化し自らも教鞭をとるなど「近代看護教育の母」としての功績も残しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です